人とのつながり

アカデミー国分寺

先週末、私がまだ20代の頃アメリカで働いていたときの生徒の結婚式に行って来ました。沢山のその頃の生徒(もちろん日本人)に会え、昔話や各々の近況を伝え合ったりと花が咲き、 ”あっ!” という間に時間が過ぎてしまいました。
実はその式でアメリカ時代の恩師から(?)ということでスピーチをしたのですが、私が話したことで、くだらないことはどうでもいいとして、ここで紹介したいことは…
彼は旅行代理店のような仕事をしています。そしてもちろんアメリカの大学を出ているので英語は堪能です。それなのに、このところ彼の身辺のアメリカのアカデミーに行きたい者への紹介、渡米準備をさせてくれているのです。このアカデミーは私が以前働いていて、彼もいた、つまり良く知っているところです。要するに私がやるまでもない(実は彼も補助的に動いてくれています)事をやらせてくれているわけで、それでコミッション(紹介料)を貰わせてくれているのです。
昔のことを恩に思って、そして私の生活に余裕が無いことへの気遣いからでしょう。私はその場を借りて礼を述べたのですが、何故だか涙が出てしまいました。
人のことを大事にする、人とのつながりを大切に思うことが出来る彼を、とても頼もしく思います。同時にもっと年上の私は、彼のように人を思えるような人間に成れているのか、非常に怪しいことに恥ずかしく思いました。
実はその翌日、式場から直ぐ近くの親戚のところに行って来ました。ついこの前私の叔父が亡くなり、通夜も告別式も出られなかったので、お線香をあげさせてもらうためでした。
この叔父は私が小さい頃からとても良くしてくれ、私が小さい時には優しい人だなと単純に思っていましたが、実はもっと深い意味があることを後で知りました。
戦後母の父は全てを失い、収入を得る手段がなくなったので、母は高校には行かず、働きに出て家族を支えたそうです。その叔父は末っ子で、大学まで行かせてもらったことをずっと恩に感じていたそうです。だからよく遊んでくれたり、どこかに連れて行ってくれたりするのにプラス、帰り際にそっとお小遣い(かなり大金)をいつもくれました。私が成人してもそれが続くので、断ったのをきっかけに、上記したことを知ったのです。
決して見返りを期待するのではなく、一生懸命やれば人の中に残ります。それが礼として帰ってくるのは、有難く受ければいいでしょう。それより私はどうせ生まれて来たのだから、何か人の中に残るようなことが出来たらなといつも考えます。私の生まれて来た意義です。
これをテニスコーチとして、私とテニスを通じて出会った人が一人でも多く、時間が経った後で ”あいつとやって良かったな、面白かった、上手くなった、などなど” と、何でもいいですから良い思い出として持ってもらえれば幸いです。
ちょっと今回はアカデミーブログから脱線しましたが、このアカデミーで接している子供たちは成長の過程で、本当に私がやっていることから受ける影響は大きいと思います。ですからテニスがより出来るようにすることはもちろん、人としても魅力あるようになってもらえるように導いて行きたいと思います。
えっ?私じゃテニスはいいとして、人格形成にまで手を出してしまうと、とんでもないことになってしまう?!! 大丈夫、もう手遅れです!さー私のようにわけの分からない人間になってもらいましょうか!冗談です、簡単なことですよ。私と反対のことを教えればいいのですから!
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