昨日あの大雪の中、青山迎賓館に行って来ました。
私がTTC (財・吉田記念テニス研修センター) に勤めているころ、プロ選手・本村剛一が練習していたのですが、弟・浩二も兄と同じ柳川高校を卒業してから、選手活動をするためにTTCに来ていました。
彼を指導していたのが私なのですが、やはり兄譲りでフォアの威力はなかなか。どの技術も良かったのですが、使え方が一辺倒。どうアレンジして、どう使うのかを指導しました。また次男の甘えん坊さが内面的な部分であり、それを選手のものにするための訓練もやっていたのですが、その最中に私の渡米が決まり、しばしの別れになりました。
数年前に帰国してからフェイスブックを始め、その中でまたつながり、しばらくして結婚の連絡。これは行かないわけには行きません!!
会場ではまず兄・剛一に久々に会い、互いに懐かしさを持ちながらの挨拶を終え、ワインを飲みながら座っていると (おしゃれでしょ?!) どこかで見たような顔。TTCのときの教え子でした。
彼は運動神経は良かったのですが、如何せんグウタラ。欲がない。よく尻を叩いて (怒鳴ったりしながら) やらせたものです。でも私がサービスラインから全力で出したボールを、反対側のサービスラインから徐々につめながらボレーし返すことができたのは彼だけです!! (インターハイベスト4の奴でもサービスラインにとどまって返すのがやっとでした!)あっ、彼も一応インターハイは出ましたけど。どうにも海外の温かいところに移住したいそうで、実は軽はずみでどこか紹介する約束をしてしまいました。
それから知っているところで桜田の選手 (当時14歳くらいでしたが) がいました。これも私がTTCで各ジュニアの大会運営をしていたときに、よく出場してくれたので覚えていたのですが、 ”イヤー体格良くなったね (太ったね) !” と私のいつもの調子から話が始まりました。一番印象に残っているエピソードが、彼が一回戦目で第一シードを破ってしまい、ドローを作った者がすごく責任を感じて落ち込んでしまったこと。でも結局彼がその大会優勝しましたけど!
あとはアメリカ時代の私の生徒のお父さんが来ていました。その方は中野区の地主。経営されているマンションに浩二がお世話になっていたつながりです。テニス界にも顔が広く、まだアメリカにいたころ里帰りをしたときに、その方にゴルフに連れて行ってもらったのですが、他に呼んでくれたのが坂井利郎さん、倉光哲さんという往年の名プレーヤー、テニスジャーナル編集長、亜細亜大学コーチの森君などと気が抜けないメンバー。楽しいはずのゴルフが私にしては珍しく、キチッとしてたものになってしまいました!
楽しかったひと時、でも帰りにマンホールの蓋の上で滑ってしまい、映画か漫画のように体が宙に浮き ”ドスン!” でもこんなときに高校で習った柔道の受身が役に立ち、大怪我には至りませんでした!
今までコーチとして自分を磨くことを最優先に突っ走って来た約30年間、選手達がちゃんと巣立つ前に別れなければならないことが多かったのですが、”もうこれからは全ての選手をしっかり送り出したいな!” と無謀なことをふと思ったひと時でもありました!