アリガトウ

アカデミー国分寺

今日はアカデミーの練習をインドアでやらせてもらいました。これは私が春休みに遠征やキャンプなどのように、普段やれないことを何もしてやれないことへの補い。そしてやはりボールを沢山打てる機会を与えてあげたい。また現在行われている試合に、出来るだけ十分な準備をさせてあげたいという思いから支配人にお願いしたところ、幸い快く受け入れて頂けて実現しました。というのも、今日はインドアの通常レッスンはお休み。だから3面を使って、皆のびのび練習ができました!
でも子供達が幼児期から続いている受けるだけの習慣を、成長して行く過程で少しずつ返せるようになる、いわばものを買う時に代金を払ってそれを受け取るように変えて行かなければなりません。そこで 「アリガトウ」 の意味をまず説明しました。日頃感謝の言葉として何となく使っているこの言葉。皆さん知っての通り 「有難う」 と書きます。「有」は「ある」という意味です。「難」はむずかしいという意味です。つまりあることがむずかしいのです。ですからこの言葉は、我々が「普通は無いでしょ」ということを受けた時にいう言葉なのです。
また、関連性があると思う「愛」 についても説明しました。愛というと、とかく男女のことなどを言い、子供達はいやらしく思うものですが、私はそれは 「好き」である、愛というのはもっと強いものであり、身を粉にしても相手を大切にすることこそが愛なのだと言いました。皆ピンと来ていないようだったので例え話をしたのですが、この例えが私らしい?あまりにも極端で、はっきり分からせる目的は達成できたのですが…!崖から自分と親が落ちそうで何かにぶら下がっている。二人だとそれが切れてどちらも落ちてしまう時に、親は絶対に自分が犠牲になり子供を助けるはずだと (すみません、極端で)。そして「愛」 には隠れた形容詞がついており、それは「無償」、先程の言い方で言うと「払わなくていい」、「返さなくていい」という意味なのだと。つまり今まで親から受けたものは「無償の愛」であり、他人との間でのことには返すのが当たり前なのだと。
今日の練習をインドアで行えるのは普段はできないこと。これをやらせてもらうことに感謝の気持ちを持つ。そして上記したように、頂いたものに相当するもの・ことを返せなくとも出来るだけのことはする。ということで、今日は外でスタッフ皆が懇親会 (お疲れ様会) をやっていたので、そこに行って有難うの意味を分かった今、その気持ちを込めて有難うを伝える。そして、日本の社会では酒の出る場で、お世話になっている人に感謝の意を込めてお酌をするということがある。いずれ社会に出て行く子供達が知っていて損はない、そして今自分が出来るせめてものこととして、それをするためにスタッフ皆のところへ出向きました。皆 「有難うございます! 」は意味が分かり、その気持ちがある分、とてもしっかり言えていました。ただお酌は… 皆紙コップか何かで飲んでいると思ったのですが、缶で飲んでいる!! ですからもう一度「有難うございます」を言って練習に戻りました!
そんな話の後での練習。子供達の真剣さがいつもよりあったように見えました。そして大体の子供は親からの躾か、いつも有難うございましたと言って帰るのですが (私はこの言葉をいつも言えるのはおかしいと思いますが) 、いつもバイバイなどと言う数人の子供が、今日も同じように言っていなくなったと思ったら、戻って来て「有難うございました」、と言って帰って行きました。私は言葉の部分では何ひとつ強制しません。行動や態度には厳しくしますけど。行動や態度はその人そのものだから気にしますし、偽れる言葉は無理に丁寧にしてもしょうがなく思うからです。しかしながら、奴らにとっても今日は有難うだったのでしょう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です
コメント*
名前*
メールアドレス*

TOP